楽観と悲観は紙一重?

今、人生の選択を迫られています。
今まで一途にやってきたことが、自分にはもう限界であるため、放棄した方がいいということと、
人生の軌道の乗り換え時点に来ていて、この軌道は今後の半生に影響が大きいこと、
この二つの選択に直面しています。
結果から言ってしまうと、間違いなく後者を選ぶのですが、
この選択という行動を自分が納得する所までは来たのですが、
自分の周りの人間や家族に伝えるのが怖いです。

それはある意味、周りから期待されていた自分とは違うから、
そしてその周りの人間の目を実はとても気にしているから。
本当は自分の人生だから、周りの人がどう思おうと自分が歩くものなんだけど、
時にはそう簡単にも行かず、悩む、迷う、苦しむことになるのです。
先週末なんかそんなワケでそれはそれはとても憂鬱に過ごしました。

一応話せる人には話して、ある程度気持ちは落ち着けてもらってますが、
やっぱり家族とかに決定を告げるのはもうちょっと先延ばしだなぁ。
悲観的に見ると、結果を出せなかったことについては悔しいし、
それまでの努力や費やした時間が無駄に思えて仕方がないのです。
でも、もしその結果を得たことによってどうなるかというと、
まずは家族や周りの人に納得させる事が出来ること、
自分の描いていたものを得たこと、
でも、実生活に何の役に立つかと言うと、微々たるものかもしれません。
では楽観的に見ると、結果を出せなかったけど、
その結果を追い求めている経過において、別の副産物を得たこと、
その副産物は具体的に見える物ではないが、
これから生きていく上で自分の能力として身についていること、
そして自分が思いもしなかった所に自分の適性を見いだせたと言うことです。
冷静に分析してみると今の自分はそんな状況です。
悔しい思いもある、でもハッキリわかったこともある。
悲観的な気持ちに浸るか、楽観的になり次のステージへ向けて頑張るか、
夏には答えを出していたい、いや、出していなければならない。